と,ここには現実と非現実とが交錯し,大層ドラマチックである。あるいは次のようにも考えられる。MayとEdwardが踊り始めてからは時制は現在形となり,この時点で物語は終って後はエピローグとなり,話し手が直接観客・読者に終りの挨拶を送る時である。現 在形は話し手から読者への,直接の語りなのである。そしていよいよ最後に書斎で,作者が一人でこの物語を書き終える場面がくる。 これこそは語りの名手としてのDickensに相応しい幕切れである。最後の方でEdwardとMayの結婚が終わり,両親たちが一緒になったところで共に挨拶などが行われている時,作者はDotの可愛らしいホステスぶりを述べて,
これは地の文である。ここにもI,my,!,な ど,自由間接話法の要素がある。これに続く突然の出来事としてTackletonの遣いが入っ て来て,次のような会話が交わされる。
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後の方のyouがここでは読者として使われている。 3. ドラマ性 こうして語りや自由間接話法は,作品にドラマ的性格を与えることになるが,次のよう に色々な形をなして表れている。 ・言い切らない文体 自由間接話法はさらに発展して,言い切ら ない文体となる。やかんとこおろぎとが音の出し比べの競争をしている。下文のthe excitement of a race はその事を述べている。こ のような内容自体,クリスマスの物語として 大層ふさわしく,読む者の心を和ませるものであるが,その表現の仕方がまた興味深い。
上の1行目の後の方以後は「言い切らない文体」ということができる。つまり述語動詞がないのである。すべて状況語的な言い方で終わっている。また Chirp,chirp,chirp! にして も,言わば裸の表現であり,読者にそのまま伝わってくる。従ってこれは自由間接話法の一つであると言うことができる。この種の表現が至る所にある。 さらに,巧みな自由間接話法は或る人物の言葉を地の文に感じさせる。 |
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