S企業を含む道内の流通・小売業界は,これまで経験したことがない競争下にさらされた。とりわけ,道外大手資本の立地は売場面積が広く,道内資本は取扱商品量で劣勢にあった。
 このよう状況下,S企業における第4期中期経営計画では,経営構造改善として,営業時間の延長,赤字店舗の対策に加え,2カ所の生産工場の立地を実現している。
 生産工場の新設は,道外大手資本の参入に対応するべく,S企業のブランド商品化の促進を期待したものと考えられる。この時点で,S企業のブランド商品は,300点を超えている。それにも増して,生産部門に着手したことは,競争激化をにらんだ新たな経営戦略と受け取れる。しかしながら,第4期中期経営計画終了時(1981年)では,生鮮食品の差別化や非食品全般の向上といった点において思うように目標を達成できず,全体としての競争力の強化につながらなかった。
 1986年,新たな生産拠点として石狩湾新港地域に石狩工場を立地した。工業用地は,1983年に取得していた。これ以降,S企業の生産拠点は,石狩工場と岩見沢工場を中心とし,1996年まで続く。石狩工場の設立時期は,依然,主力である流通・小売業の実績において,思うようにのびていない。他方,流通・小売業の後方支援として,石狩工場や白石物流センターの新設は,物流のネットワークの構築に向けた取り組みとして,高く評価された。一方,1970年代後半以降,急速に流通・小売業界の経営環境が変化し,以後ますます競争は過熱していった。その過程で,S企業は,赤字店舗の統廃合をすすめ,積極的なリストラクチャリングを継続してきた。その一環として,
石狩工場は,1997年,関連企業であるK企業に移管された。また,岩見沢工場は,1997年に閉鎖した。K企業石狩工場は,S企業からの移管を機に札幌の本社機能を当工場内に移転した。加えて,M社から移管していた漬物卸部門も集約している。翌年(1998年)には,新たにチルド物流を開始した。
 以上,K企業は,S企業のリストラクチャリングにおける石狩工場の移管をきっかけとして,生産機能を主とするようになった。また,K企業も,S企業同様にリストラクチャリングとして,飲食店100店の経営を1998年,S企業に返還している。こうした動きは,S企業の経営戦略の転換が大きい。結局,S企業は,多角的な経営を関連企業に完全分業させ,一定の部門で特化するような体制を築いた。
(3)K企業石狩工場における原材料と販売の
   経路

 K企業石狩工場では,生産加工における原材料について,北海道産のものを積極的に使用している。例えば,大豆製品では,北海道産の大柚,トヨマサリ,スズマル,納豆類の大豆では,千歳や恵庭といった近隣地域のスズマルを使用している。製麺類では,北海道産の小麦粉である「たいせつ」,餃子類の野菜として富良野産低農薬野菜を使用している。ただ使用量は,あくまで限定的な量に留まっている。すなわち,道内産の限定した原材料を使用すると割高となり,結局のところ製品価格としての競争力を失ってしまう。ただ,製品によっては道外産も用いる。コンニャク・白滝の原材料として,群馬県産の特等粉を使用している。こうした原材料は,直接に運ばれるのではなく,一度,札幌の大手商社に貯蔵し,必要量を定期的に当工場へトラック輸送している。
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