ーデンやアメリカなどにおいて「施設解体」ないし「脱施設化」が着実に前進していった時期でもある(注8)。こうした国際的動向の影響を受けて,また,地域生活を志向する障害者運動の発展も相俟って,その後,わが国もようやく障害者の生活を地域において支援していくという考え方へと転換し,先述したように「障害者基本計画」において政策的に明確に打ち出すこととなったのである。 さて,障害者の生活を「施設から地域へ」と言うとき,入所施設から出て地域での生活を始める(地域生活移行する)ことにのみ関心が向きがちである。しかし,地域での生活を「始め」て,どのような生活を送ることができているのか,こそが重要な点であるといえよう。筆者がいくつかの知的障害者の施設に出向いたとき,入所者たちは「規則に縛られることなく,自分の意思に従って生活する」という大義名分のもとに生活していたが,その実何をするでもなく「無為に」過ごしている様子であった。施設改普の流れの中でもこのようなことが起こっていた。わたくしたちは,「施設から地域へ」の転換の中で,その轍を踏まないためにも,考え方と枠組みの変革だけにとどまってはならない。すなわち,地域の暮らしはそれを実現するだけで事足りるのではなく,それはまさしく始まりであって,それからの暮らしが,その地域の一員として認められ尊重されているか,社会参加しているか,生きがいや満足感を持って暮らしているかなどが問われなければならないのである。 したがって,そのことを保障していくためには,地域にあって,障害をもつ人々が生活していくために生ずるニーズを充足させるための人的・物的条件,すなわち社会資源を急ぎ整えていかねば |
ならない。とりわけ「地域生活移行」の取り組みが相対的に遅く始まった知的障害者・精神障害者のために必要なサービスの構築は急がれている。 とりわけ,支援費制度から「障害者自立支援法(案)」の提案によるさらなる改革が提案され議論の俎上にのっている時,その「改革」の方向性を見誤らないためにも,障害者の生活支援のあり方の原点に立ち返って検証し,障害者の地域生活を実現しうる社会資源とは何かについて検討しておくことが必要であると考えている。 そこで,本稿では,障害者の地域生活実現とその「生活の質」を見据えつつ,障害者の地域生活の要件としての祉会資源について探究していきたいと思う。
ノーマライゼーション理念が生成した当初は,依然として,障害者を「被保護的存在」 として一面的に捉えていた上に,施設は,保護するための組織・機関としては社会的有用性をもっていると理解されていたこともあって,閉鎖ないし解体するという考え方は示されず,もっぱら小規模化し地域化するなどして改善すべき対象とされ,それが可能なもの とも思われていた。 |
|||
- 2 -
|
||||