てこようし,また,その障害ゆえに侵害されがちな権利を守る具体的な支援とその仕組みも求められよう。そして,それらの「個別的支援」は,世話・介護といっ た「保護―被保護」の関係を想起させるイメ ージやホームヘルプやガイドヘルプのような「在宅」や「移動」に限定されるものでないス ウェーデンにおける「パーソナル・アシスタ ンス」(注26) のような必要な時・所のどこでもなされるような支援をイメージしたい。
 生活主体者である障害をもつその人自身が,自分の生活や人生を自分自身で切り開き コーディネートするための意思や好みをもつという「心理的前提条件」を保障することについては,どんなに重い知的障害をもっていてもわたしたちと同じように意思や好みをもちうるという信頼の上に立ちつつも、意思や好みを形成しにくくさせている諸条件を取り払うことから支援は始まると考える。
 また,障害のある人自身の思いや意思決定が日常的な様々な場面で尊重され,反映される「環境からの反応」がなされるような環境づくりという間接援助も重要な要素となる。
 以上のような「生活環境を適切に整える」 援助のもとに,「ノーマルな生活」を送ることにより「生活の質」は高められていく。
 その際,先人の「生活の質」にかかわる定義づけにヒントを得ながら筆者なりにその構成を考えるならば,「健康」「外面的な生活状況(居住状況,教育,仕事,経済,余暇活動 など)」「対人関係(親子関係,夫婦関係,友人関係,同僚との関係,近所づきあいなど)」 「内面的な心理状況(自己実現,自由・自己決定など)」となるが,それらのことに目配りを しながらの支えが探求されていくことが大切であると考えている。
 それはさておき,戦後,身体障害・知的障害,そして精神障害と順次構築されてきた障害者福祉の制度も,長い間変わることなく続いてきたが,今日,歴史的に経験したことのないほどの「流動性」の中におかれている。いま,私たちが障害者の地域生活支援について考えていくとき,この「改革」の動きを見据 えて考えていかねばならない。この「改革」 の柱となるものは,一つはすでに繰り返し述べてきた入所施設から地域生活へという軸であり,もう一つはそれをどのような仕組みで実行していくかという軸である。
 1990年代に入ってから,国の社会福祉にかかる経費増大の認識をきっかけに,公費による負担の形で財政的な公的貴任を果たす仕組みである措置制度を見直そうという動きが出てきた。まず,1997年の児童福祉法改正によって保育制度が「措置」から「保育の実施」 へと変更(1998年施行)され,続いて,「介護保険法」成立(1998年)によって,老人介護の分野が「介護保険」制度によるものと なった(2000年)。その後,これら一連の「改革」の総仕上げとして,障害者福祉における支援費制度の導入がなされ,「借置」から「利用制度」への転換が図られた(2003年)ので ある。
 ところが,支援費制度が施行されて1年も経たない段階で,指摘されていた仕組みの運用の問題以前の,すなわち根幹に関わる財政問題が取りざたされた。支援費の最終不足額が14億円(在宅サービス全体で128億円不足し「厚生労働省内から補う工夫を経てもなお不足した額)になるとされる(注27) など,制度の存立自体を危ぶむような問題が起こってきている。また,事前に予想された「地域に十全なサービスが用意されているのか」などの課題の多くは,施行後も引き続き問題
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