簿記と会計を一連のものとして教育する簿記会計教育の必要性を認識させる。 しかし,学生にとって簿記会計に関する知識,技術,態度,倫理観の体得はなじみにくいことも確かである,特に簿記の学習成果は,机について勉強した時間数と正比例する傾向がある。このことが,大学教育における簿記会計教育の困難性の一因となっている。貸借対照表の理解・分析の問題は,常識で判断がつく可能性があるが,真っ白い紙に貸借対照表を作ることは簿記の知識と技術がなければ不可能であるからだ。パワーポイントを使ったり,簿記の学習ソフトを使うなどの試みがなされているが,残念ながら特効薬はなさそうである。 簿記会計教育を大学教育のなかで最大限の効果をあげるには教育目標の合理的な設定と教育内容の吟味が欠かせない。専門教育としての簿記会計教育は確立されたものがあるが,教養教育としての簿記会計教育が大学教育の中で確立しているとは言い難い。このような現状を見る時,経済社会での一般常識として,大学教育としての課題解決教育の一環として,簿記会計教育の教養教育としての位置付けを明らかにする必要がある。 注 1)安藤英義『簿記会計の研究』中央経済社, 平成8年,P41。 「簿記の不易性と普遍性,会計の時代性と 国家性という科目の重要な特質を教える」 2)新井益太郎・稲垣富士男『新簿記』実教出 版,平成14年1月31日検定済,p2。 3)醍醐 聰『簿記』一橋出版,平成14年1月31 日検定済,P2。 |
4)新井益太郎・稲垣富士男『新会計』実教出 版,平成15年1月31日検定済,p2。 5)醍醐 聰『会計』一橋出版,平成15年1月31 日検定済,p2。 6)雲英道夫・田中義雄『商業科教育論』多賀出 版,昭和53年,P3。 7)安藤英義『簿記会計の研究』中央経済社,平 成8年,P39。 「簿記と会計とを区別する1つの要素は監査で ある。会計は監査を伴うが,簿記にはそれがな い。さらに会計には,外部への報告(開示)そし て責任がある。会計監査,会計報告,会計責 任といった耳慣れた言葉からも,このことが分 かるであろう。簿記にはそのような熟語がない。 これからすれば,監査・報告・責任を伴わない 小遣帳や家計簿を付ける行為は簿記であっ て,会計にならなし。簿記のない会計はない が,会計のない簿記はあるのである。」 8) 実務から教育に対する疑問として,筆者はか つて,日本簿記学会第12回全国大会(1996 年10月)で発表の折,実務家より「なぜ,本支 店会計を教えるのか」という質問を受けたこと がある。その質問の主旨は,そもそも決算は一 日や二で出来るものではない,本支店会計は 決算日だ日からといって特別の仕訳の必要は ない。問題が発生した時点で必要な仕訳,会 計処理を行えばよい。実務は動いており,本支 店会計の処理をしている間に未達商品等は着 いてしまい未ではなくなる。従って,本支店会 計そのものが意味ないというのである。筆者 は,この指摘に対して,実務においては正し い見解であるかもしれないが,簿記教育の立 場は,決算時に支店から本店に商品を発送し たという事実を知りえた時点で仕訳を行い,後 に無事に商品が届いたという事実に基づいて |
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