田療法の治療技法や世界観には抵触しなかった。さらには素質に基づいた精神の反応様式を重視した森田の理解にKraepelinの考えは大きな影響を与えたものと考えられる。これらの治療技法は,森田独自の世界観のもとで一つの治療体系としてまとめられた。
 一方森田が鋭く批判したのは,Freudの精神分析であり,Duboisの説得療法であった7)。 森田は初期の精神分析の概念しか知らなかった。しかし森田が十分な精神分析の知識があったとしても,おそらくその批判的な立場は変わらなかったであろう。筆者が森田は終始一貫して精神分析の批判者であろうと推測した理由は2つある。一つはDuboisの説得療法にも当てはまることだが,ある精神療法が創られ,確立していく過程では,すでに存在している精神療法との差別化が必須となる。それなくしては新しい療法の独自性が主張できないからである。従って森田が自ら創始したと自負する精神療法の独自性を他の療法の批判を強める形で主張することは当然のことである。日本の精神分析の紹介者,丸井と森田の論争は有名であるが,それはこの間の事情を物語る。これは新しいと主張する精神療法一般に関わる事象であるが,もう一つ本質的なことがある。
 それは森田事身の世界観に関わることで,おそらく生涯森田はこの考えを捨てることはなかったであろう。森田がFreudの精神分析を批判して次のように述べる。「余は思ふに,人々が身体と精神とを別々に考えて,特に自分の心は自分でのみ初めて知ることが出来,また自分の目的に適ふように之を支配することが出来るといふ風に考えて居る事が,世の中の思想の矛盾を起こす根本でありはしないか。吾人は身体も心も随意に支配することが出来るのは極めて其一部で,わずかに
其末梢に止まる。・・・忘却も突然の思付きも,決して吾等の自由に出来ぬ。自然の現象である10)(下線筆者)そして抑圧を自然現象であり,心的外傷説も,多くの人が経験することで,それが神経症の原因とはなり得ない。重要なのは素質であると森田は言い切る。つまりそれも自然のものなのである。このように森田は精神分析的心因論や防衛機制を否定する。そして本来自然なその人の反応である過去の不快な追想や欲望を自ら忘れようと排除し,逆に益々それの執着してしまうことが,思想の矛盾であり,それが神経症を作り上げると主張する。ある出来事(心的外傷)を探り,それを意識化することに治療的意味を見出さず,一方では素質に還元し,他方ではその素質の基づいた自己の心身の反応への解釈が神経症の形成に決定的意味を持つというのである。

2. 心因論をめぐって
 さてもう少しこの森田の精神現象に対する理解を具体的に述べてみよう。ある人が不安(あるいは悩みでもよい)を感じたとする。この不安の理解には少なくとも2通りがあろう。一つは,不安の原因を探ることである。精神分析でいえば,過去の心的外傷にその源を求め,その探索を治療者は行うことになる。
 森田はこのような発想を鋭く批判した。森田の提出した理解は因果論に対して,いわば円環論的である3)。ではどのように理解するのか。ここで具体的に森田のいうとらわれ,悪循環説について説明する。われわれの不安(あるいは感情の反応様式)は,生来の傾向で決まると森田は考えた。問題は,この“自然 な”情緒的反応を自己の生存,適応に否定的な反応として決めつけることである。このような心的態度をもとに,悪循環が形成
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