される。森田が提唱した悪循環とは,注意と感覚の悪循環である。ある情緒的反応に自己の注意が集中するとする。そのためこの情緒が益々鋭く,強く感じられ,更に注意が引きつけられてしまう(精神交互作用)。このような感覚と注意の悪循環から症状が形成され,固着してしまう。この悪循環過程を森田は「とらわれ」と呼んだ 8)。これはこのような情緒的反応が自己の内界で強められ,それしか意識に上らないような閉じられた心の過程である。
 このように森田は精神分析の因果論的仮説に対して鋭い批判を向け,現象そのものを観察しようとした。その現象に見出せるある普遍的な法則を見抜こうとした。森田はしかしこれ以上精神現象の認識論に立ち入らなかった。この森田療法の持つ精神現象の認識法を筆者は精神現象に対する円環的理解と呼びたい。これは仏教でいう因と縁という関係性の理解法でもある。仏教ではただ一つの原因―たとえそれが根本原因であっても―だけで事象は生じないという。その根本原因が具体的に働くためには,別の補助的原因が必ず必要でそれを縁と呼ぶ。つまり事象は因と縁の二つから生じると考える18)。森田の神経症の形成に関しては,ほぼこの円環的,あるいは因縁的理解に基づいている。これが森田が精神現象を理解しようとした基本的な認識法である。しかしこれは何も東洋的思想の基づく理解であるとはいえない。例えばは心身症の理解において,心身二元論を止揚し,科学的因果論を排除し,心身の相互が原因とも結果ともなる円環的理解を提示した17)。そこでの重要な概念の一つは悪循環論である。森田も同じように,人間の精神的現象の理解には,感情・思想・欲望などの円環的関連を見出していくことこそが重要であるとし
た。
 そして森田の批判はやはりDubiosの説得療法にも向けられる 7)。Dubiosの思考の誤りから神経症が起こり,合理的説得法と正しい教育法によりこれを退治できるという説を批判し,重要なのは体験であると主張する。Dubiosの説自体が西欧的思考優位あるいは精神優位の二元論にその源を置くことは間違いない。これは現在日本で盛んに導入されている認知療法とDubiosの説は類似している。このことからも森田の精神分析やDubiosの説に対する批判は極めて今日的であるといえよう。
 さて,森田の円環的,因縁的関係性の理解とともに重要なものは,森田のいう自然論である。身体,感情,欲望のようなわれわれの自然なるものに対して,思想,知識でそれを支配しようとすることが人間の矛盾,葛藤の根本であるとする。つまり藍沢の指摘するように森田は心身の全ての現象を自然に還元する自然存在論的還元というべき立場をとる 1)。 そこには自然への全面的な肯定があり,それはまた欲望を含めた人間への楽観的肯定が潜んでいる。精神現象の円環的理解とともに,反主知的,経験主義的,自然還元主義的な認識法が西欧との精神療法の比較から浮かび上がってくる。

 III. 森田療法の世界観
1. 心身一元論と無の思想

 では森田療法の世界観とはどのようなものであろうか。森田自身は実践を重んじ,思弁の人ではなかったためこのような世界観については断片的に述べているに過ぎない。ここで参照とするのは明治・大正の知識人がどのような西欧の思想を受けとめ,それを日本人である自己との関連から考
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