えていったか,そこから育まれた思想と森田療法がどのように関連するかである。
 中村によれば 9),明治時代にわが国に西欧哲学が西欧文明の本質的部分として導入されたときに,ある深刻な問いが発せられた。わが国では,東洋や日本の伝統的思想が果たして<哲学>に値するものを生み出してきたかどうか,が問題にされたのである。ここでいう西欧の伝統的な哲学の知の前提はロゴス中心主義である。これはあらゆる意昧でのロゴス―話された言葉,神知,至高の理性,合理性,人間理性の代表的形態としての意識など―が常に真理の最終の根拠として持ち出されるあり方である。
 そして哲学とは,第一に論理的学問の知としての側面,第二に世界観・人生観としての側面があり,西欧の哲学は論理的な学問知として普遍性を獲得した。そしてそのような知のあり方が近代科学を生み出した。それに対して日本や東洋の伝統的思想では,第二の側面への傾斜が著しく,従ってこれらが哲学とよびうるであろうかという問いが発せられたのである。
 このような圧倒的な普遍性を獲得した西欧の知は,当時の知識人にさまざまな影響を与える。このような西欧の知に対する答えの一つが,西田の哲学であり,その思想を中村は, 唯物論,仏教的な無の思想,自己意識の立場とまとめた 9)。森田がこれら思想界の影響を強く受けていたことはほぼ間違いない。唯物論は心身一元論あるいは精神は身体の作用であるという理解に結びつく。これは,森田が精神と身体の関連を述べた考えとほぼその軌を一にする。森田は線香とそれを振り舞わしたときに火の輪を例えて身体と精神の関係について述べる。動いていない線香を考えれば,これが物質であり,その活動的変化の現象を見れ
ばそれが精神である。しかし線香と火の輪は決して別のものではない。同一のものの静的観と動的観の相違,つまり現象の見方の相違にしか過ぎないという。従って線香が消えれば,精神は消滅する。つまり精神が不滅ではない,また「精神とは,吾人の生活活動其物であって,この活動を除いて吾人は認むべき何物をも持たない」 7)のである。それとともに,このような精神や身体の理解は,当然身体的行為論へと結びついていく。つまり精神への変化をもたらすには,身体的な行為の関与が重要となるという認識である。これが森田療法の臥褥から作業への続く治療システムの一つの理論的根拠となる。
 仏教的な無の思想は,森田療法の根本的認識を示す。これは西田のみならず,明治維新後新しい時代の近代的自己の確立をめぐってさまざまな人が激しい葛藤を経験した。例えばその時代の代表的作家であった夏目漱石は,この問題に真正面から取り組み,悩み抜いた人であった。江藤は夏目漱石の目を通して,日本における近代社会と我執の問題について論じている 2)。西欧的な小説の手法は西欧的意味での人間の対立関係や,近代的自我から生まれたものである。従ってその上に存在している西欧的な小説の方法論を,日本に適応しようとすることは,不可能で,それをあえてしようとすると日本の現実を無視して架空の世界を描かなくてはならない。これが漱石の苦悩である。さらに日本人の我執とは,神という存在を前提とする我執とは,その我執を救済するにはどのようなことが必要なのか,という問いでもある。これは優れて現代的問題でもある。漱石は,その救済を結局自然に求めた。そして自然とは,無の表現であり,その中に自己を解消せしめることが出来る「救い」であると江藤は論じる。さら
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