りこのような思想の潮流に森田も決して無縁でなかったことは,次第に森田療法の思想的軸が,ヒポコンリ一性基調という体質概念から「生の欲望」という欲望概念へと変化していったことからも伺える。
 さて鈴木は生命主義を次のようにまとめている 12)
1)生命主義は誰にでも実感できる「生命」を存在
  の根源的,普遍的原理とする。実感と観念が
  直接,時には無自覚に結びつきやすい傾向
  がある。
2)生命主義は,勇気と決断と運動を促し,強い
  実行力を生む,存在の「いま,ここ」の身体的,
  精神的実感に発し,それを批判し,乗り越えよ
  うとする思想の原基として発現する。
3)生命主義は「生命」の自由の発現を求め,創
  造性に富む。反面,散発的で,無秩序に傾き
  やすい。
4)生命主義は,要素的還元主義を取らず,全
  体主義(ホーリズム)に向かう。
5)生命主義の欠陥は,生命主義の内部におい
  てしか解決されない。
 さて生命主義の危機において発動する「いまここ」の身体的,精神的実感とそれを乗り越えようとする実践可能性は,森田がこの治療システムを作り上げたときに念頭に置いたものであろう。つまり必死の思いで治療の場に飛び込み,臥褥という遮断的環境下で「いまここ」で感じる生命的実感と跳躍の感覚は,確かに生命論的体験の流れである。このような生命主義は,思想として,また精神療法の実践として多くの可能性を秘めている。そしてこのような生命主義に森田療法の治療原理や治療論が多くの影響を受けている。筆者は,森田の世界観の一つがこの生命主義であると思う。しかしそれゆえ森田療法の治療のシステムと治療理論が限界もあると考えられる。一つはあま
りに時には安易に,生命あるいは自然への還元がおこなわれることである。つまり注意を要するのは,森田療法の世界観である生命論に対して理論的検討抜きに,生命論的治療主義を強調する危険性である。「生命」を「いまここ」で実感できるような治療の場が森田療法に必須であるならば,森田療法はその場抜きには成り立たない。そのような場で,人は身体的行為(臥褥も筆者はある種の身体的行為と考えている)を通して直接的に生命的現象を体験する。そこでは言語自体は理論的には軽視されていく。実際問わない,探索しないという不問技法が森田療法の中核的技法となり,これが生命的現象の発露をその場で体験させるとする11)。しかしそれらの体験が多くの場合一過性であることも多くの森田療法家は知っている。
 その体験を深め,不安,恐怖という体験を自己の人生にもう一度織り込んで行くには,単なる生命論を超えたその人のあり方が問われなくてはならない。

 IV.近代日本における癒しの系譜と森田
   療法

 さて森田療法の基層をなす思想として心身一元論,東洋的,日本的自然論,無我論,生命論を取り出した。しかしこれらの思想は森田療法独自なものではない。それらは近代日本における癒しの系譜と深く関わっているのである。これらに関して,田邊,島薗,弓山編集による「癒しを生きた人々―近代知のオルタナティブ」を参考に検討する。
 明治後期から昭和前期にかけて,信仰治療を含む広義に医と健康に関するさまざまな癒しが提案され,実践された。この時代とは社会・文化的には資本主義経済による大衆社会の幕が開き,さまざまな文芸思想が生まれ,一時のデモクラ
 - 7 -
<<back    next>>